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2016年10月15日 (土)

岡部伸『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』新潮選書2012・8

一 ドラマ『百合子さんの絵本』の原案本
 7月30日(土)NHK終戦スペシャルドラマ『百合子さんの絵本~陸軍武官小野寺夫婦の戦争~』のが放映があった。予告編で香川照之の夫と薬師丸ひろこの妻が出ていた。宣伝の文句に「たった2人でも戦争を止められると信じていた」とあった。
  NHKの番組案内に「このドラマは池端俊策さんのオリジナル作品です。原案本は、『消えたヤルタ密約緊急電―情報士官・小野寺信の孤独な戦いー』(著者:岡部伸 /新潮社)です」とあった。
 「百合子さんの絵本」というタイトルは、ムーミンの翻訳者として活躍された小野寺百合子さんのエッセーなどのイメージが土台のようである。ドラマでも、加藤剛が演ずる佐々木信綱が主宰する歌の会がある。日本の子供たちへスウェーデンの絵本を潜水艦で送ったエピソードが出てくる。
 しかし、「百合子さんの絵本」そのものが、この終戦スペシャルドラマのどのような主題になのかということは全く分からなかった。最初に、加藤剛扮する佐々木信綱主宰の歌の会なので、そんな香りのするドラマなのかと期待してしまった。池端のオリジナル作品だというのでムーミン翻訳者の「百合子さん」の終戦が主題かと思ったら、岡部伸氏の著書に依った情報士官小野寺とその夫人のドラマであった。「百合子さん」の登場は、暗号化した電報を打電する場面が殆どだった。
 その岡部氏の著書『消えたヤルタ密約緊急電―情報士官・小野寺信の孤独な戦いー』は、2012年8月刊行の新潮選書で、佐藤優氏の解説を除いても460頁を越える大作である。
 
二  スウェーデン公使館附武官小野寺信少将
 著者の岡部伸氏は、産経新聞の社会部外信部を経てモスククワ支局長として北方領土問題なども現地で取材もなさってこられた方である。
 1940年(昭和15年)11月に陸大教官だった小野寺信大佐は、スウェーデン公使館附武官に発令され、翌年1月にストックホルムに着任した。情報士官の仕事をしながらクリプトテクニク社(現・クリプトA.G.)から最新の暗号機械を買いつけたり、ピアノ線とボールベアリングを調達しドイツ経由で本国に送っている。1943年8月に陸軍少将に進んだ。小野寺の送った機密情報は「ブ情報」と呼ばれ、海外からの貴重な情報源となった。「ブ情報」の「ブ」は、ミハウ・リビコフスキ(Michał Rybikowski)の上官ブジェスクフィンスキの頭文字である。小野寺はとくに1945年2月、ヤルタで米英ソの巨頭会談があり、ドイツ降伏後90日以内にソ連が(日ソ中立条約を侵犯して)対日参戦するという機密情報を日本の参謀本部に送っている。
 敗戦後の1946年(昭和21年)3月に日本に帰国復員したが、同年7月まで戦争犯罪人として巣鴨プリズンに拘留された。
 戦後は妻百合子とスウェーデン語の翻訳業に従事するなどスウェーデンの文化普及活動に努めた。晩年になって『NHK特集 日米開戦不可ナリ 〜ストックホルム・小野寺大佐発至急電〜で取材インタビューが行われ、1985年(昭和60年)12月に放映された。小野寺の大戦中の活動に照明が当てられた。
 佐々木譲の小説『ストックホルムの密使』(新潮社1994)は小野寺夫妻の終戦工作をモデルにしたものである。
 岡部氏は、この伝説の「インテリジェンス・ジェネラル」の活動とその成果を明らかにしようとされたものである。小野寺が打電した筈のヤルタ密約の機密情報についての大本営からの反応はえられなかった。その情報はどうなったのかは、全く不明だった。大本営は海外の出先含め、電報など関係資料を終戦と同時に焼却処分しており、小野寺が打った「ヤルタ電報」の行方は杳として分からなかった(p.464)のである。
 2005年ごろから米国立公文書館で、小野寺が巣鴨拘置所で供述した調書や米中央情報局(CIA)が集めた「小野寺信」ファイルなどの秘密文書が公開された。2007年ごろからは英国立公文書館で、ブレッチリー・パーク(政府暗号学校)が傍受、解読した小野寺の電報が秘密解除された。そこには「ヤルタ電報」を除いて、小野寺がストックホルムで送受信した電報を傍受・解読したほぼ全ての秘密文書があった。岡部氏はいまだに全てをよみきれていないという(p.465)。
 岡部氏は、インテリジェンス・ジェネラルとしての小野寺の活動が凡そ確認できたとして遺族に報告すると、小野寺が生前に家族に語った「証言テープ」などの提供を得た。岡部氏は、更に多くの関係者にインタビューを行い、防衛研究所史料室や国会図書館から新史料を発見して本力作になったという。
 
三 日本政府や大本営に無かった「グローバルで怜悧な大局観」とは何か?
 ポーランドやバルト三国の情報士官から「諜報の神様」と慕われ、連合国側からは「枢軸側諜報網の機関長」「欧州における日本の情報収集の中心」とおそれられていた伝説のインテリジェンス・ジェネラル小野寺信の活動、その象徴的なものとして小野寺がもたらした筈が、日本の大本営には痕跡の無いヤルタ密約情報の問題を克明に明らかにされた岡部氏の糾明作業は小野寺夫妻の活動を顕彰するものである。
 この岡部氏の著書は、確かに力作である。ところが、岡部氏の叙述に、少し気になるところがある。例えば、独ソ戦の勃発危機を小野寺が日本政府に伝えたときのことである。「…小野寺個人の情報に対しての判断ミスと捉えるよりも、組織的に情報を冷静に判断するシステムが確立されていなかったと見た方が正確だろう」(p.172)とある。抜群の情報将校(小野寺)についての評伝であるので、このような書き方になるのだろうが、問題が「組織的に情報を冷静に判断するシステムが確立されていなかった」ことにあるというのが本書の趣旨のようである。情報士官(小野寺)は、抜群の働きはしているのに、それに対応するだけの情報を冷静に判断する「システムがなかった」のが問題であるということのようである。世界一級の情報将校が活動しているのに、その情報を生かすことが出来なかった、生かすことが出来たら、多くの悲劇が避けられたと言っているようである。
 小野寺がドイツとソ連の開戦の危機の情報を流しているのに、無反応な日本政府を「最初に独善的に立てた作戦(構想)があり、そこから外れた情報は頑なに拒絶されたということだ。その情勢分析には、独ソ戦の勃発が世界の軍事バランスを日独伊対米英という二大陣営に分断してしまうという、グローバルで怜悧な大局観はない」「この時すでに日本のインテリジェンス・サイクルは機能不全に陥っていたのである」(p.176)という。岡部氏は「日本型官僚組織に潜む病弊は根深い」(p.176)という。
 岡部氏は、日本政府にグローバルで怜悧な大局観が無かったことを問題にしている。岡部氏は、ロシア革命後の国際反革命行動の一翼として行ったシベリア出兵を否定しない(p.154)。ロシア革命でのレーニンの、無賠償・無併合・民族自決に基づく即時講和を趣旨とする「平和に関する布告」は世界に影響を与えた。
 第1次世界大戦後の世界秩序の再構築はパリ講和会議で始まるが、その講和の原則はアメリカ大統領ウイルソンが18年1月に発表した十四箇条の平和原則である。それは、ヨーロッパ列強の秘密外交や非民主的な政治を批判し平和や公平への民衆の願望をうけとめ、自由主義経済のもとで戦争を防止する国際秩序を実現して、ロシア革命の社会主義にに対抗せんとするものでもあった。しかし、フランスやイギリスは植民地などの既得権益を手放さず、敗戦国にも厳しい態度で臨んだので、この原則の実現は部分的だった。
 世界的な反革命行動のシベリア出兵は、第1次大戦の痛手を被っていなかったアメリカと日本が主力になったが、反革命が鎮圧されて他国が撤兵したあとも日本だけは兵を退かず、内外の批判をあびて22年にようやく日本も撤兵した。たしかに、そこに「グローバルで怜悧な大局観」は見られないのだが、そのような大局観というか歴史観・世界観が無いのは当時の日本というより現代の著者の岡部氏からも窺えないのである。
 パリ講和会議で決定したヨーロッパの新国際秩序をヴェルサイユ体制と呼んでいるが、アメリカ大統領ハーディングの提唱で、1921年から合衆国、イギリス、フランス、日本などがワシントン会議を開き、海軍軍備制限条約、中国の主権尊重・領土保全を約束した九カ国条約、太平洋諸島の現状維持を求めた四カ国条約が結ばれた。このようなワシントン会議で決まったアジア・太平洋地域の国際秩序をワシントン体制と呼んでいる。
 政府・大本営に「情報を冷静に判断するシステム」が無いというより、国家、政治、歴史、戦争についての基本的な知識・認識がジャーナリストも含め一般に無いのではないかと思うのである。
 日本での軍・学の共同推進は、かなり遅れて、急遽行われていたようである。例えば大阪帝国大は1931(昭和6)年に医学部理学部で設立され、物理学科などが1933年に発足した。1936年にサイクロトロンの建設が始まった。そこで、菊地正士、渡瀬譲、山口省太郎などが人工放射性元素のβ線およびγ線の研究をしていた。また、1943年になると阪大の一期生などもマイクロ波のレーダーの製作のために、東京の海軍技術研究所分室へ出向した。しかし戦争が終わるまで実用化には成らなかった。
 堀栄三『大本営参謀の情報戦記』は、広島被爆のあと「堀たちの頭に、原爆という語は、その当時かけらほどもなかったことを告白する」(p.260)と述べる。しかし戦争末期、荒勝文策京大教授は海軍から原爆開発の依頼を受けていた。もちろん、投下する飛行機などなかった。一方で陸軍は理研の仁科芳雄らに原爆開発を依頼していた。荒勝は被爆直後の広島に赴き、新型爆弾は原爆であるという認識を示し、土壌の強い放射能のデータから「核分裂ヲオコセル『ウラニウム』ハ約1kg」という分析結果を報告している。
 とくに言及するまでもない記述であるが、岡部氏は「開戦に至る判断は世界の客観情勢を無視したものであった。前年、陸海軍の若手幕僚による『総力戦研究所』が図上演習から、『補給能力は2年程度しか持たない』と陸相時代の東条以下に報告したが、東条は『日露戦争では、勝てると思わなかったが勝った。机上の空論では戦争はわからない』と一顧だにしなかった。インテリジェンスを軽視した独善的な戦略決定だった」(p.238)とする。インテリジェンス云々ではない。既に、1931年からの満州事変で、1928年の不戦条約に抵触している。また、林銑十郎中将指揮下の朝鮮軍は奉勅命令無しに越境している。既に軍隊の体裁を為していないのである。その後、開戦手続きも無く、日中戦争を起こし、南京まで攻め込んでいる。糧食の準備の手当も無い。将兵の掠奪に任せるままだった(というより依存状態)ようである。末期に徴兵された兵士が自分たちを、マックス・ウェーバーの分類で言えば「奴隷軍」だと称していたが、強盗の群れでもあったようで、南京事件の考証をした人によると、都市南京での犠牲者もさることながら、周辺の農村での犠牲者の被害を挙げている(笠原十九司『南京事件』岩波新書)。
 以上は、岡部氏の著書の叙述において、日本政府や軍部がインテリジェンスを軽視したり、無視したことの問題を挙げておられるようなので気になったことである。小野寺夫妻の活動が実を結ばなかったのは、インテリジェンス以前の問題があるのではないかと思うのである。
 1941年の真珠湾攻撃を、未だに奇襲でもだまし討ちでも無いと強弁する人たちがいる。宣戦の通達が遅れたのは、外務省の役人の遅滞ミスだと言ったりしている。実際に攻撃に出発させておいて、通達せよとは引き金を引いておいて、玉より早く届けようとするような感じではないか。攻撃の効果ポイントを挙げるためには、奇襲しかなかったとしか思えない。 岡部氏は、開戦を「インテリジェンスを軽視した独善的な戦略決定だった」(p.238)とするが、戦争するには欠落しているのは「2年しかもたない補給能力」だけでない。補給の方法も無いのである。戦争相手の能力分析も無い。戦争についての考えが非常識というより、異様なのは何故か、ということが問題ではないか。
 
四 「反ソ・反共」と「親ソ・容共」?
 また、気になる叙述がいくつかある。「帝政ロシアがアジアの新興国に敗れ、世界中に恥をさらした屈辱感が今なおロシア人の心を支配しているのだ」(p.434)とある。こういうコンプレックスを抱え込んだロシア人に会うことがあれば、少しびっくりするだろう(もちろん、同様のことはお前のようなのがいるから日本は戦争に負けたのだ、と罵倒する日本人もいるので、一概には否定できない)。似た叙述に「彼ら(ポーランド)に勇気を与えたのが日露戦争だった」(p.153)とある。具体的には、日清戦争後、大陸進出を進める日本は、三国干渉で圧力を掛けてきたロシアとの間で熱くなった。日露戦争では、バルティック艦隊を沈めたところで、間をおかず講和を成立させた。日本の能力はいっぱいいっぱいだったのである。戦争でロシアを勝ちまかしたわけではないのである。だから講和条約の内容を聞いた(実は勝つたのではないこと知った)日本人は暴動を起こした(日比谷焼打ち事件1905)。伊藤博文は、最後まで開戦を回避することに尽力していたのは常識である。
 屈辱感というのなら、1939年のノモンハン事件では、ソ連は航空機以外の兵器の質が全く違ったという。とくに第2次ノモンハンでは、日本軍は一蹴された印象で語られる。実際には、ソ連軍にも相当の損害があったそうである。しかし、ソ連軍は、その後、独ソ戦争で勝利したように成長している。
 岡部氏は「そのロシア人自身が、自らがモンゴルの末裔であることを認めている。『タタールのくびき』からロシアを解放させたとされるイワン雷帝が、『白いハーン』を名乗っていたことをご存じだろうか。ハーンとは、『汗』、イスラム教国の君主の称号であり、白はトルコ=モンゴルの世界観で西方を象徴する色だった。つまり、イワン雷帝が中央アジアのモンゴルから『西の君主』であることを自らモンゴル流に表現したのだ」(p.40)と述べる。
 イスラム教国の君主の称号というハーンは一般には聞かない。ハン(ハーン)は遊牧民の間で用いられた君主の称号である。南ロシアにモンゴルの国、キプチャク=ハン国が立てられ、イラン・イラク方面にチャガタイ=ハン国がつくられ、それぞれ、イスラム化した。だから君主をハンと称することはあるだろう。
 15世紀にはモスクワ大公国が勢力を伸ばして大公イヴァン3世のときに東北ロシアを統一し1480年にモンゴル支配を脱し(タタールのくびきから解放したのは雷帝の祖父のイワン3世である)ツァーリの称号を用い、孫のイヴァン4世が正式に戴冠式を行った。岡部氏の叙述が分かりにくいのは、タタールのくびきがモンゴル人支配を言うのなら、それから解放した(と岡部氏が言う)雷帝がなぜ、モンゴル人であることを自称するのか。この話には、いろんな説話が混交している。
 岡部氏は、なぜ、このような明確でない叙述をしたのだろう。ロシアはモンゴル系で侵略的であると言いたかったのだろうか。しかし、モンゴル帝国の時代、ムスリムの商人の交易活動も目覚ましく、世界の発展に寄与したのである。
 本書が力作でありながら、叙述を素直に受け取れないところが多いのである。先に引用した箇所(雷帝についての叙述)の後には、スターリンがモンゴルの末裔だと言ったという紹介(p.42)がある。スターリンがモンゴル帝国のような侵略者の末裔だと言いたいとしか理解できない。著者の岡部氏の趣旨はよく分からない。このような不明確な出自を根拠に偏見を助長するのは非難されるべきレイシズムではないか。
 
五 国を滅ぼしかねない中枢の指導者や財界に靡くマス・メディア
 次のような記述がでてくるのも不可解であった。「中枢の指導者が、主観的願望に拘泥して危うく国を滅ぼしかねない事態は、終戦から60年以上経た現在の日本でも起きている。2011年の東日本大震災に伴い発生した福島第1原発事故における菅直人前首相が取った対応も同じ文脈にある。初動の24時間以内に廃炉を覚悟で海水を注入し、米・仏・露の経験と人員を借り受ける揺るぎなき決断をすれば、メルトダウンも防げたとも言われる。民間の『福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)』は報告書で官邸の初動対応を『無用な混乱やストレスにより状況を悪化させるリスクを高めた。場当たり的で泥縄的な危機管理』と指摘、国会の事故調査委員会(黒川清委員長)は、『自然災害でなく人災』と断定する報告書を公表した」(p.366)とする岡部氏は、東日本大震災時も現役のジャーナリストで当時の状況を見ていた筈である。
 福島原発は緊急用の発電機が機能できなかった設計ミスがあったことは、当時のニュースでも分かる。岡部氏は「廃炉を覚悟で海水を注入」すべきだったとするが、津波による浸水で「非常用ディーゼル発電機やバッテリー(直流電源)、電源盤等すべての電源を失い」、計測もできない状態だった。海水の注入も消防のヘリコプターなどから試みた(うまくいかなかった)映像は岡部氏もご覧になったと思う。菅直人首相は厚生大臣時代、薬害エイズの解決の功績があった。短気なところから「イラ菅」とも言われていたらしい。水が浸かるようなところに非常用発電機を設置するような設計なので、大きな災害には持ちこたえられなかった原発に東電社員は逃げ越しになったらしい。それに突撃命令にも似た激励をしたのが菅首相で、それが社員らに「ストレス」になったなど言われたのかも知れない。
 著者の岡部氏が当時の首相菅直人氏を「主観的願望に拘泥して危うく国を滅ぼしかねない事態」を招いた指導者として批判しているのである。しかし、事故調査・検証委員会による聴取では吉田昌郎所長は菅の視察による作業への影響は全くなかったと答えている。
 菅氏に対する攻撃の最たるものは、「海水注入の中断を指示していたのは菅総理だった」と当時野党の党首だった安倍晋三氏がメルマガに書き、いくつかのメディアが倣ったデマの拡散もある(このことによる菅氏が安倍氏を訴えた裁判があるが、この裁判官も判決も拙い)。これは、極端なデマであるが、それを頂点として菅直人氏に対する否定的風潮は、福島原発の深刻な事故に直面した菅直人氏が脱原発を切実に追求する必要を言い出したころからである。
 またwikiでは、当時の海外のメディアの福島原発事故対策についての評価について次のように紹介している。
 ●2012年3月にはガーディアン紙特派員が「東電幹部の首根っこを抑えた菅前首相は及第点」と一定の評価をした。
 ●ドイツの第2ドイツテレビ(ZDF)は東電幹部、作業員、原子力工学者などに対するインタビューや現地調査、河野太郎、佐藤栄佐久などの他、菅直人自身にもインタビューを行って作成した日本の原子力事情や危機管理、福島第一原発事故を巡る一連のドキュメンタリー報道の中で、菅の対応は、原子力危機に対する危機管理が整備されていない状態でできること中では十分なものであったと評価した。また日本の政界、財界、産業界、マスコミには総理大臣すらコントロールできない原子力村と呼ばれる巨大なネットワークが存在すると指摘しており、原発事故後に然したる確証も無いままにマスコミが行った菅に対するネガティブ報道を行ったことや、政界で菅おろしの動きが急速に広まったことについても、菅が原子力行政をめぐって原子力村と真っ向から対立したことが大きな原因であるとしている。
 ●イギリスのBBCは原子力事故に関して作成したドキュメンタリー「Inside the Meltdown」の中で当時の東京電力の対応を強く批判する一方で、菅の対応は最善とはいえないが、それなりに高く評価はできるとした。
 政治家や地域の利権に無縁の海外メディアは、国内の政界や財界とのつながりを持たないためか国内のメディアに対して、正反対ともいえる反応であった。
  危ないのは低劣な国のジャーナリズム
 似たような、政権非難は、阪神大震災時にもあった。神戸長田区のゴム工場が密集したところで起きた震災による火災は、消火栓も無く、消防自動車が入る道も無いところで、鎮火することが出来ず、幾日も黒い煙の映像のニュース続いような記憶がある。阪神大震災の像である。これは、自前の水源をもたない神戸市のひとつの特徴だと思った。神戸ウォーターなどと言うが、神戸の水道水は一般に塩素臭が強い。遠くの淀川の水を塩素滅菌しているからだと思っている。神戸が都市づくりを怠ってきたことのツケが廻ったとは、当時、野坂昭如が言っていたことである。日本の都市作りのサボタージュの責任を村山内閣の問題にすり替えるような痴愚の説があったが、よく似ていると思った。
 2013年9月、ブエノスアイレスのIOC総会で、安倍晋三首相は、福島はunder contorolであると言った。日をおかずに、安倍首相は、重装備に身を包んで福島原発を訪れた。その写真は世界に流れた。実は、under controlでないことを自らアピールしていたのである。  そうかと思えば、その9月20日の毎日新聞に福島原発事故による汚染水漏れで懸命の対応をしている東電関係者が「状況は統御されているとはいえない」と民主党の会合で言ったことに対して、下村文科大臣が、いわば「大本営発表」と齟齬するようなことを言うなと激怒したという記事があった。
2016年9月25日の毎日新聞夕刊
 毎日新聞2016年9月25日の夕刊は次のようなことを伝えていた。
 東京電力福島第1原発周辺の飲料用や農業用の大規模ダムの底に、森林から川を伝って流入した放射性セシウムが濃縮され、高濃度でたまり続けていることが環境省の調査で分かった。50キロ圏内の10カ所のダムで指定廃棄物となる基準(1キロ当たり8000ベクレル超)を超えている。ダムの水の放射線量は人の健康に影響を与えるレベルではないとして、同省は除染せずに監視を続ける方針だが、専門家は「将来のリスクに備えて対策を検討すべきだ」と指摘する。
 汚染水は已然としてuncontorolである。まだ、残っているのだが、廃炉に至っては、その計画も明らかにされない。
 ジャーナリズムにも「グローバルで怜悧な大局観」は必要であると思う。「日本のジャーナリズムに潜む病弊は根深い」とも思う。
 
六 「情報士官小野寺信の孤独な戦い」とは何だったのか-日本という国家、日本軍、戦争、国民
 
 NHKドラマ『百合子さんの絵本』の原案本になる著書だと知って、この岡部伸氏の著書を読み出した。2012年8月25日発行の本書を入手したとき(2016年9月)には、第7刷になっていた。「百合子さんの絵本」というドラマのタイトルからは、むごい戦争にさいなまれた婦人の話かと思った。実は、エリート軍人夫人のことであり、絵本もそれほど出てこなかった。
 本書の内容は、旧日本陸軍の世界的なインテリジェンス・オフィサー小野田少将の活動で、北欧という舞台からして、我々には馴染みのない世界のことであり、その点は興味深いことであった。
 そのように、本書は、我々にとっては、殆ど知らなかった歴史・戦争の重要な断面を見せてくれているのにも拘わらず、また相当の分量の叙述であるにも拘わらず、腑に落ちない思いを本書の読後にもつのは何故だろうか。小野寺少将によるヤルタ密約のスクープ電報は、国際情勢を示す第一級の情報である。岡部氏は「(ソ連仲介による和平工作の)一方、ソ連の参戦がないことを前提にアメリカ軍との本土決戦を目指していた大本営陸軍部や陸軍省などの幕僚にも、確実にソ連が参戦して来るというヤルタ密約電報は、ソ連が参戦しないという前提条件が崩れるため、これまた『不都合な真実』であった」(P.454)とする。情報の段階で、それを「真実」と表現するのはどうかと思うが、それほど確実だったということだろう。
 しかし、ソ連参戦があるかどうか言う前に、当時の戦況を客観的に見て、本土決戦を「目指す」などというようなことを、まともに考えていたのだろうか。例えば、1945年4月、日本海軍の象徴的な戦艦大和は、海上特攻隊として沖縄方面に出撃し、坊ノ岬沖でアメリカ機動部隊に攻撃され、主砲を一発も撃たずに撃沈されている。とても「決戦」を目指せるような状況ではない。決戦どころか、本土での万歳玉砕くらいしか想像できない状態である。
 佐藤優氏の解説も含めて本書の趣旨が分かり難いのは、大本営が小野寺電でヤルタ密約の秘密情報を受け止めておれば、ソ連仲介による和平に希望を託すようなことが無く、遥かに損失を減らせたというなことなのか。つまり、日本は原爆投下やソ連参戦を見ることなく、無条件降伏していたということになるのか。広島や長崎の被曝、ソ連の参戦前に無条件降伏していたということになるのか。先に、堀栄三『大本営参謀の情報戦記』が、広島被爆のあと「堀たちの頭に、原爆という語は、その当時かけらほどもなかったことを告白する」(p.260)と大本営参謀が述べているのを紹介した。海軍が開発を依頼していた荒勝文策は、被曝直後に原爆であると認識している。
 本書の192頁以下に1938年の小野寺の対中和平の検討の叙述がある。日中戦争も和平できる見込みが無かった状況である。
 唐突のようだが、堀栄三『大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇』に次のような箇所がある。
 
  ここで少し脇道に外れるが、大山巌元帥のことに触れさせてもらおう。
  日露戦争もいよいよ大詰めにきて、奉天会戦は、旅順から駆けつけた乃木大将の第三軍が、左翼から露軍を包囲するに至って、明治38年3月10日露軍は算を乱して北方へ退却しだした。児玉大将総参謀長は。総司令官大山元帥の承認を受けて、全軍に鉄嶺にっての大追撃戦の命令を下達、日本軍はあらゆる困苦を忘れて勇躍北進に移った。いまや露軍に一大潰滅を与えんと、総参謀長以下司令部は踊らんばかりの興奮状態にあったときだ。大山元帥は、
  「ちょっと児玉さん」
     と児玉総参謀長を自室に呼んだ。
  「えらいご苦労じゃが、早速東京へ行ってくれんかいのぉ-」   
    児玉の方がびっくりした。
  「わしは、この辺が限界じゃと思っとる。至急政府に何とか講和の手を打たせてくれんかいな」
   普段、まるで昼行燈のような風貌の大山元帥は、部下が眼前の勝利に酔って興奮のさ中にいるとき、すでに満州軍の戦力と日本帝国の国力とを秤にかけて、参謀たちが考えるその先のことを心配していた。
     かくて児玉さんは東京に走り、日本はボロを出す前に講和へと進んだ。(p.192)
 日露戦争の終結の状況である。岡部氏の叙述に腑に落ちない思いをもったというのは、政治指導の中枢とか大本営が駄目だったが、インテリジェンスは、特別に優秀だったとか、そのような言い方は出来るのかということである。岡部氏は、東条が(補給能力は2年程度しかもたないという報告に)「『日露戦争では、勝てると思わなかったが勝った。机上の空論では戦争はわからない』と一顧だにしなかった。インテリジェンスを軽視した独善的な戦略決定だった」(p.238)とするが、問題はインテリジェンス軽視云々ではない。補給能力が2年以上持たないというのは、戦争する能力が無いということである。そもそも石油を止められて生じた対立ではないのか。インテリジェンスの問題などではない。基本的な認知能力の問題である、それを認識する能力も無いということではないか。
 岡部氏の叙述には、常識では分からないところがときにある。例えば「2・26事件後、皇道派の多くが軍を追われる粛軍人事が断行され、軍部大臣現役武官制が復活した。軍の政治介入が進み、軍部が台頭することになる」(p.237)もそうである。岡部氏が日本の国としての解体状況を書いておられるのだったら、そうかと思うが、よく分からない。
 次のところは、半藤一利氏の言のようなのであるが「そして(小野寺電抹殺の)もう一つの理由として挙げたのは、『小野寺が皇道派とみなされていた』ことだ」「『小野寺はとても剛毅な名将だったが、統制派が幅を利かせていた作戦課は、皇道派の旗頭、小畑敏四郎が最も目をかけた小野寺の情報を信用しなかったのだろう』」(p.455)とある。近代国家の軍隊で、皇道派の者の電報だからという理由で統制派が握り潰すなどとは、とても信じられないことである。皇道派というのは、2・26事件で1483名の下士官兵を動員し、首相官邸や陸軍大臣官邸などを襲撃し、政府要人を殺害したグループである。スローガンは「昭和維新・尊皇討奸」である。元老重臣を殺害して、天皇親政を実現したら、政財界の腐敗や農村の困窮が収束するというものである。農村の困窮の最大の原因は、当時の国家予算の6割にも及ばんとする軍事予算である。このことは、当時、ゾルゲが公刊されていたドイツの雑誌に投稿していることである。この危機的状況は、極秘のことでも何でも無い。彼らは、軍縮条約の調印を統帥権の干犯と叫んでいたのである。それが兵を動かして政府要人を襲撃殺害するのである。このような粗暴で、軍隊的規律も維持出来ない存在を許してしまっていたこと自体問題である。「皇道派とみなされていた」ということは、皇道派ではなかったということだろうが、近代国家の軍隊内のグループとしてはあり得ない存在にシンパシーをもつような叙述をしているようでは、第2次大戦期の日本政府も大本営も解明のしようがないのではないか。首相官邸や大蔵大臣私邸を襲い、明治以降の日本の財政を支えてきた高橋是清も殺害し国難を招来させたのが皇道派である。
 岡部氏はどうして、小野寺を皇道派とみなすような言い方をするのだろうか。小野寺が「君側の奸」を討つことを課題とする皇道派と推測されるようでは、小野寺が情報将校として活動でき冷静な国際分析ができるのかと思う。
 それよりも、小野寺が皇道派であることを、小野寺電が大本営などで、その意義を発揮できなかったことの理由とされる要因とされる岡部氏の叙述に釈然としないものを感じるのである。
 繰り返すが、2・26事件後、粛軍人事などで政府や軍が悪くなったわけではない。2・26事件は最悪であるが、皇道派なる存在自体、日本の国や軍が合理的な展開を果たせなかった表れである。岡部氏は「皇道派の多くが軍を追われる粛軍人事が断行され」などと呑気なことを言っておっては駄目なのである。明治の政治家も思わなかった、「天皇の親政」などというオカルトみたいなことを言っていては駄目なのである。
 確かに、皇道派の動きと解されているなら、小野寺信少将の活動はやはり「孤独な戦い」であったに違い無い。
 しかし、大した武器ももたず、食料の補給も無く、侵略地へ送られた多くの日本兵は、「孤独の戦い」どころではない、過酷な戦いというより、「生存」を強いられていたのである。

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