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2016年6月13日 (月)

NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』についての疑問

一 モデルを理解すること
毎朝、時報がわりに見るようになった連続テレビ小説である。しばしば世間の話題になったりするので、見ておくことにしている。
 一般には、あまり知られてはいなかった広岡浅子をモデルにしたドラマ『朝が来た』は高視聴率を維持した。
 その後につづいたのが『とと姉ちゃん』である。主役に起用されたのが『ごちそうさん』で主人公の義妹役で評判がよかった高畑充希である。早逝する父親役が西島秀俊、その弟、つまり叔父役が、水木しげる役を演じていた向井理で、『梅ちゃん先生』の鶴見辰吾の叔父の役回りに近い。
 ドラマが始まる前から、『暮らしの手帖』の大橋鎮子さんがモデルのドラマだと言われ気になっていた。『暮らしの手帖』といえば、花森安治という編集長の存在は有名だが、その存在にまけない大橋鎮子という女性の社長の存在も興味深い。
 主人公は「小橋常子」としているから、明らかに大橋鎮子をモデルにしたものだというより、大橋鎮子ですよ、と言っているようである。ところが、当然、ドラマであるから、ドラマとしての展開にしたのであるが、タイトルの「とと姉ちゃん」という名前がよく分からない。大橋家では、両親を「とと」と「かか」と呼んでいたのだろうか。ちょっと違和感を覚えるのは、浜松の会社のそこそこお地位にいた父親が家庭でも子供たちにずいぶんと丁寧な言葉遣いなのである。子供たちも両親に敬語をつかっている、地元の悪ガキとも対照的である。それが「トト」「カカ」なのである。高等女学校へ進学しても成人しても「トト」「カカ」である。
 
二 モデルを理解すること(の2)

 この手の、いわゆる実在のモデルを想定したドラマは、原案として、伝記や自伝が材料として出てくる。この「とと姉ちゃん」も確か、最初は大橋鎮子さんの著書が挙がっていたと思う。今、見てみると、「協力/暮しの手帖社 土井藍生 資料提供/大橋鎭子 花森安治」となっている。実話とはかなりはずしていますけど、ということなのだろうか。
 話(劇)にするため、深川の材木商の近くの弁当屋に一家で居候するという設定である。そこから、高等女学校へ二人の娘が通うのであるが、当時に高女進学率は、山本有三『路傍の石』でも判るように、本当に少ないのである。弁当屋の娘が制服を着てみて出来たほころびが元になったトラブルも挿入されてはいるが、大して意味のあるエピソードにもなっていない。
 大橋鎮子さんは第六高女へ通っていたそうである。ドラマでは埼玉県の深谷商業とか千葉の佐倉高校の写真をわざわざ使っている。重要文化財級の格調高い建築である。そのわりには、学校内の日常の光景は貧相である。戦後かなりたったころ、神戸の伝統的女子高での朝の挨拶には「よいお天気でございます」とか「鬱陶しゅうございます」(雨の日)などという挨拶が為されていたと聞いたことがあり、同様の話は別のところでも聞いた。寄留先の娘が制服に憧れることもあっただろうが、そこでの教育や学校生活でのギャップもあったことも想像できる筈なのである。
 ドラマ作りをしている筈だから、やっと建物には関心は行くようだが、「ことば」と社会、それに風潮に関心が無いのはいかがなものかと思う。
 
三 モデルを理解すること(の3)

 高女時代に歯磨き製造を企てたというのは、大橋さんの自伝にもある。それは、歯医者の指示によるものであったようである。ドラマでは、たしか、学生のアイデアだったのではないか。学生は優秀で、歯磨きもそれほど害が生じるものではないとしても、不特定の人の口の中に入れるものである。ドラマの、その配慮とけじめの無さに大橋著とのギャップを感じ、NHKのドラマ作りが安易になっていないかと按じるところである。
 向井理が、今度のドラマは友人の西田の作品だとうれしそうに言っていたのが印象的だったが、今、NHKが危ないのは報道だけで無いのかも知れない。
 ドラマでは、実話をかなり変えて、小橋常子を、「浄書課」とかいうタイプの仕事をするところに就職させている。実話に近い調査課では、話を作りにくいと思ったのか、女性の仕事ならタイピストだと思ったのか、脚本の西田をはじめ製作の意図はさっぱり分からない。パソコンが普及した今でこそ、現場の人が男も女もパソコンを利用している。こんな時代だから、タイプの仕事が大きな役割をもっていた時期のことが判らないのかと思う。
 「浄書課」と称するところでの「いじめ」や、社内での女性蔑視が結構長く「芝居」されているが、現実離れの「お芝居」には、正直白ける。身内でお互い褒め合っていれば、その場しのぎで安泰だろうが、この安易さと無知は、いずれ、NHK(に限らず)ドラマの崩壊を招くことになる。
 「常子」が従事したのは、「邦文タイプ」(ドラマのように「和文タイプ」とは言わない)である。先に少し言ったように、昭和40年代は裁判所・法務局はもちろん、一般会社の議案書なども邦文タイプで浄書印刷していた筈である。
 現場のことを少しでも知っていた人がいたら、常子が職場へ連れて行かれたとき「あなたは何もしないでいなさい」となると思うだろうか。昭和50年代になるとワープロが出てきたが、それまで、つまり明治のころから、きちんとした文書は、タイプされていた。だから、少しでも当時の事情を推察できればタイプするものがないからといって何もしないで座っている余裕は無い筈だ。タイプするまでに、原稿を読んでみて(あるいは読み合わせて)、ときには調べることが出てくるかも知れない。タイプしたものを、チェックする仕事もある。それは、複数でやるのがルールの筈だ。
 「虐め」とか「女性蔑視」とか、あまりにも唐突なエピソードが溢れていて、仕事のルーティンに恐ろしく欠落している。白けるとはそのことである。
 テレビで大写しになった「邦文タイプ」を見て驚いた。前にも言ったように昭和40年代まで、全国にたくさんの公務員も含め邦文のタイピストがいたのである。機械も至るところにあった。邦文は活字を一字一字拾って打つのであるから、活字は逆さまに並んでいるのである。慣れない逆さまの活字を一字一字読んで探していると目が異様に疲れてしまう。やがて、活字の場所を覚えてしまい、書くより早く邦文が打てるようになってしまう。タイピストの仕事は過酷であるが重宝でもあるのである。
 常子のような仕事ぶりでは、とても役に立ちそうもない。タイプの仕事の現状についての一かけらの知識も無い人ばかりが集まって作ったドラマとしか思えない。今、日本で生きている大半の人が邦文タイプが社会の基礎だった時代を生きていた人の筈だ。
 会社の重要な会議の報告でも、判決でもタイプが間に合わなければ大変なことになる。「そんな者(タイピスト)の代わりはいくらでもいるんだ」などという会社は存続できなかった筈だ。この台詞もまずい。脚本家西田征史は出直して欲しい。ドラマ作りのルーティンが欠落しているのではないか。
 星野(坂口健太郎)が大阪へ赴任する場面があった。電車だった。東京駅から汽車にのるのだが、大阪へ行くのだったら普通は特急を考えるだろう。東海道線全線が電化するのは、昭和31(1956)年の筈で、それまでつばめも蒸気機関車に引っ張られていた筈である。そんな列車を河川敷で見送る常子の姿にリアリティが出てくるか。元毎日放送のプロデューサーだという同志社女子大教授は感激したようだ、暢気なやっちゃ。

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